
テーマ=モイズ・キスリング
展示作品=
《花束》1916年 鉛筆、紙
《港風景》1917年 鉛筆、紙
《イリヤーヌの眼》1931年 鉛筆、紙
《アムステルダムの眺め》1935年 油彩、キャンバス
《若い女性のポートレート》1943年 油彩、キャンバス
概要
上《港風景》1917年 鉛筆、紙 45×30cm
下《アムステルダムの眺め》1935年 油彩・キャンバス 38×55cm
キスリングは、モディリアニやピカソなどとも交流し、特に若く美しい女性像の作品で知られ、いわゆるエコール・ド・パリを代表する画家である。
キスリングはポーランドの古都クラクフで1891年、決して裕福ではない仕立屋の息子として生まれる。クラクフは17世紀に首都がワルシャワに移されるまでの都で、中世からユダヤ人が多く住む都市で、キスリングもやはりユダヤ人である。当初は彫刻家をめざすが、美術学校入学を機に絵画に転向。1910年、19歳にしてパリへ発つ。
パリに着いて間も無く、新しい芸術を模索する芸術家が多く住む、モンマルトルやモンパルナスに通うようになり、モディリアニ、ブラック、ホアン・グリスらの画家と知り合う。キュビズムやダダなどが急速に発展していたこの時代、パリにはキスリングと同じように、芸術の中心地を目指して多くの外国人が集まっていた。ピカソ、グリスはスペインから、モディリアニはイタリアから、藤田は日本から、パスキンはブルガリアから、と数え上げたらきりがない。自然と異邦人の画家達は助け合って生活をしていたが、パリに来て2年後、キスリングはホアン・グリスから譲られて、後に有名になったモンマルトルの「洗濯船(バトー・ラヴォワール)」にアトリエを一時構える。このようにキスリングはすっかり、パリの新世代の芸術家達、特にキュビスト達との交流が盛んになり、ピカソやブラックを始めとするキュビスト達とスペインで数ヶ月過ごすなどするが、キスリングがキュビストとなる事はなかった。
パリに来た当初、キスリングは後期印象派、セザンヌやポン=タヴェン派の影響の濃い作品を描いていたが、やはりキュビズムを始めとする同時代の新しい芸術に影響を受けつつ、独自の画風を模索するようになる。
エコール・ド・パリの作家で、キスリングの親友でもあったモディリアニ等は経済的に恵まれなかった一方で、キスリングは幸運であった。初めてサロン・ドートンヌ展に初めて出品した事をきっかけに画商と契約し、また、第一次大戦の勃発した際にはフランス軍の外人部隊に志願、戦闘で負傷したものの、これにより後年フランス国籍を取得、戦死した友人の遺言により、25000フランの遺産を受け取った事などが挙げられる。そして不遇だった周囲への援助も惜しまなかった。モディリアニに画材やアトリエの提供、あるいは、モディリアニが1920年に死去した際には費用を負担して葬儀も行っている。
さてキスリングは、多くの女性像描いているが、中でも多く描いたのはキキである。1920代「モンパルナスのキキ」「モンパルナスの女王」と呼ばれた人気のモデルであるが、二人の出会いは、ラ・ロトンドというカフェであった。ここは多くの芸術家が集まる場所であったが、キキが人気モデルとなる以前、席でキキを見かけたキスリングがカフェの支配人に「あの新しい売春婦、あれは誰だい?」と聞き、その会話がキキの耳に入る。売春婦呼ばわりされたキキは腹を立てるが、お互いに社交的な性格であった事から、やがて親しくなり、キスリングはキキにモデルとして3ヶ月の契約を結ぶ。そしてモデルとしてだけでは無く、恋愛関係も持ったとされ、キキをモデルとした作品を100枚以上描いている。
キスリングはそのような女性像で知られる一方で風景画も多数残している。丸沼コレクションの一つ、「港風景」というヨットを描いた作品は1917年の作品だが、南仏・サン=トロペを描いたものと思われる。また、《アムステルダムの眺め》は1935年の作品。いずれもキスリングが度々訪れ、幾度も描いた場所である。南仏とオランダではかなり離れているが、人工的な構造物と海(運河)、港、太陽の光が織り成す風景は彼の心をとらえたものと言えるだろう。
モンパルナスの画家達は好景気に沸いたパリで1920年代華やかに活躍するが、大恐慌を機に徐々にパリを去っていく者もあった。そんな中でも、キスリングは一貫してパリを拠点に活動を続けた。だが、第二次大戦の勃発、ナチス・ドイツが勢力を伸ばす中、ユダヤ人にとって安住の地では無くなり、1941年、キスリングはアメリカに渡る。ニューヨークやハリウッドに居住、アメリカの愛好家に歓迎され、各地で展覧会を開催する。《若い女性のポートレート》はキスリングがニューヨーク、セントラルパークに隣接するアトリエで制作していた時期のものである。アメリカ人の愛好家から注文を受けて描いたものと思われるが、細やかな筆の動き、やや物憂げな表情、澄んだ瞳などにはキスリングらしさが表れている。
キスリングは終戦後、再びパリで活動を行い、レジョン・ドヌール勲章を授与されるなどさらにその名声を高めるが、1951年病に倒れ、61歳で死去する。
丸沼コレクションでは、比較的初期からアメリカ時代までの、風景、花束、女性像を所蔵しており、その代表的なモチーフを楽しめる構成となっている。