
テーマ=柳原義達
展示作品=
柳原義達 《鳩(2羽)》1993年 インク、紙
《道標・鳩》1973年 ブロンズ
《道標・鴉》1967年 ブロンズ
《道標・鴉》1978年 ブロンズ
《裸婦・座す人 手を膝に》1992年 インク、紙
佐藤忠良 《女の顔》制作年不詳 リトグラフ
《女性の横顔、首》1958年 鉛筆、紙
《冬のこども》2006年 ブロンズ
舟越保武 《修道女》1990年頃 木炭、紙
展示作品を鑑賞する受講者達
柳原義達は、佐藤忠良や舟越保武と同時期に東京美術学校(現在の東京芸術大学)で学び、さらに新制作派協会(現在の新制作協会)の設立時からの会員でもあり、戦後の日本を代表する三人の彫刻家の一人として知られている。参考として佐藤忠良作品、舟越保武作品も展示した。
柳原義達は1910年、広告宣伝の仕事をする父の下に生まれる。美術好きの父の薦めで、中学生の頃から日本画家を目指すが、美術全集で初めて見たブールデルの《アルヴェアル将軍大騎馬像》に衝撃を受け、彫刻に転向する。
そして東京美術学校への入学後は彫刻の道をひたすら歩み続けるが、常に誰か模倣では無く、独自の美を生み出そうと、もがき苦しみながらも公募展への入選などを果たす。そして終戦後、記念碑的な作品を生み出す。1950年に発表する《犬の歌》は終戦間近に赤紙を受け取るものの、召集の寸前に終戦を迎え、あるいは占領下の銀座で自身の作品を持って歩いていた所を何の理由もなく米兵に殴打されたなどの戦争体験による、「自虐と空虚」(自著「孤独なる彫刻」での言葉) の思いをぶつけた作品であった。
そして1953年から57年にかけての渡欧を経て、1961年、再び《犬の歌》を発表する。それは50年作の若々しい女性像の外面がはぎ取られ、「自虐と空虚」がむき出しになったかのような荒々しい姿となる。
そして1960年代半ばからカラスの作品を発表し始める。ゴミ捨て場を荒らしたり、あるいは不吉な動物として嫌われている鳥だが、柳原はカラスを愛し、自宅で飼う程であった。そのカラスとの出会いは1966年に神戸市の動物愛護協会からの依頼で制作した《愛》という作品であった。子馬にとまるカラスをモチーフとした像の制作にあたり、動物園や野生のカラスのスケッチを繰り返すうちに、そのクチバシや黒い羽、等に魅せられたのである。そして後年柳原は、カラスについて「創作意欲を激しく駆り立てる存在」であるとまで語る。柳原は後半生、カラスやハトを数多く制作するが、それらには「道標」とのタイトルが付けられている。
《犬の歌》は同名の19世紀フランスのシャンソン(普仏戦争に敗れた占領下、ドイツ人への反逆心を胸の奥に持ちながらも、表面的には犬のように媚びる、との内容)からタイトルを付けるが、柳原にとって「抵抗の心」を造形したものであった。その「抵抗行為」による「孤独」の世界への不安、そこに自らの生きた証として「道標」がある、と柳原は語る。
一見、鳥へのやさしい愛情によるカラスやハトの造形だが、その穏やかさは柳原の波乱に満ちた苦悩を経て成り立っている。
丸沼芸術の森では、展示した6作品を始め、ブロンズ4作、デッサンを8作、リトグラフ2作、合計14作品を所蔵している。