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テーマ:「丸沼芸術の森での制作活動を振り返って」
講師:鈴木伸(画家)
展示作品=
(芍薬)1981年 紙本着色
(矮鶏)1982年 紙本着色
(縞馬)1980年代なかば 紙本着色
《夜》1990年 混合技法(白亜・テンペラ・油彩)、シナベニヤ
素描 1997年 色鉛筆・鉛筆、紙
素描 1999年 鉛筆、紙
素描 2008年 鉛筆・色鉛筆、紙
素描 2009年 鉛筆、紙
《獅子宮》2006年 混合技法(白亜・テンペラ・油彩)、シナベニヤ
《鹿野苑》2004年 混合技法(白亜・テンペラ・油彩)、シナベニヤ
《窓》2006年 混合技法(白亜・テンペラ・油彩)、シナベニヤ
左)《鹿野苑》 右)《獅子宮》
今回、丸沼のアトリエを卒業するにあたり、昨年に引き続き、お話させていただきます。私が丸沼芸術の森で制作活動を始めたのは30歳代前半であった15、6年前の事です。須崎代表とお会いし、「絵を描いている」とお話した所、「丸沼のアトリエを使ったらよい」と勧められたのがきっかけでした。画家の有元利夫氏は「アトリエとは絵を描く為だけの場所では無い」と語っていますが、私にとっても、丸沼のアトリエは、やはり作品制作のみならず、音楽を聴いたり、本を読んだり、、、自宅とは全く異なる、気持ちを切り替えて創造的な気持ちになる場所でした。
今回は丸沼コレクションの私の作品に、手元に保管している作品も加えて展示し、学生時代以降の私のおよそ20年の作品遍歴をお話します。高校生の頃、日本画にあこがれ、多摩美術大学の日本画クラスに入学しました。多くの学生にとって、日本画の画材は初めて挑戦するものでした。その為、当初は顔料と膠(にかわ)の配合のバランスなど、とても難しく感じました。展示した中で、一番古いものは私が大学1年生の時のもので、実際に日本画を描き出して3作目の、芍薬(しゃくやく)を画題としたものです。このような、生徒が課題で描いた作品を、先生がチェックする際は、描いた画題などでは無く、無造作に手の平で画面をゴシゴシ擦って、顔料がちゃんと定着しているかどうか、技術の基本をチェックされたものです。顔料には粒子の粗いものや細かいものがあり、この芍薬を描いたものは、それぞれの特性を、実際に試しながら描いたもので、技術がまだまだ稚拙な為に思うような表現には至れなかったものです。
次に古いのは2年生の時のもので、多少、画材の扱いにも慣れ、写生にもう一歩踏み込んで矮鶏(ちゃぼ)を描きました。当時の私は、伊藤若冲など、江戸時代の異端的な絵師が好きで、この絵ではその影響を受けた部分もありました。ですが、学校では非常に受けが悪かった。多くの先生に「古い、暗い、渋い」と散々で、残念ながら評価はしてもらえませんでした。担当の先生には大学院への進学も勧められましたが、4年で卒業しました。どこの美大でも同じですが、生徒にとって先生の影響は多大です。それぞれの先生の属するグループの公募展に当然参加するものです。ですが、私は、日本画の世界における派閥の力関係によるシステムに参加する気持ちにはなれませんでした。そして卒業後の5~6年は非常に苦しい時代でした。次に古い作品はその頃のもので、当時グループ展で展示したのですが、酷評されたものです。この頃の私は、作品の動機となるものに確固たるものが生じていない自分に強い不満を持っておりました。まずイメージから、という展開を模索しはじめた一点で絵画上の構築力が弱かったのです。日本画とは写生、手本を大切にするものです。その手本を先生から弟子へと脈々と受け継いでいきます。ところが、継承を繰り返す中で「お手本主義」に陥ってしまうと、絵そのものが死んでしまう事があります。竹や松といった画題の描き方、運筆法などを学び、受け継ぎながらも自分の世界をどう表現するのかが最も大切なのです。ところが、作法ばかりにたよっていては、「死んだ」絵しか描けなくなってしまいます。そのような事を続けていては、かつての精神はいつの間にか失われてしまいます。そんな思いの中で、もう日本画をやめようか、とも思っていました。その時期に描いた為、写生をせずに、非常に甘い部分があるのですが、今日の私を形作る思いが根底にあり、とても愛着のある作品です。
そして、20代後半の頃、昨年の鑑賞会でもお話しましたが、一人で「絵画とは何だろう、自分が描きたいものは何だろうか」と考え、銀座の画廊やあちこちの美術館を巡っていました。ヨーロッパを2ヶ月程かけて巡った時に、テンペラと油彩による混合技法に出会い、日本画の技法は自分から切り離しました。30歳を目前に一からやり直す事に不安はありました。他の展示作品はそれ以降のものです。そして混合技法を手がける先生にも出会え、数年間通って学びました。下図に従って描く日本画と異なり、地塗りの有機的で抽象的な色面に触発されながら、インスピレーションで描くこの技法は実に刺激的で面白く感じました。日本画は一歩づつ仕上げて行く制作です。一方で、この技法はいきなり5歩、10歩と描き進めるかのような感覚です。30歳代の10年間をかけて、ようやく自分のインスピレーションを画面に描き出せるようになりました。画家にとって、自らの豊かなイメージに加え、なおかつそれを表現する技術を持つ、その両方のバランスが重要です。ある版画家が作品表現の意気込みや責任感について、「ニードルは私の剣だ。インクは私の血だ。」つまり技術と精神の一体化について語ったのですが、私もそのようにありたい、と考えます。私は死ぬまで描き続けたいのですが、30歳代以降を過ごした丸沼での経験は実に重要なものです。
丸沼芸術の森で制作させていただいた年月は、私に美術とは、表現とは、そして自分とはいかなるものであるかを確認させていただいたかけがえのないものでした。改めまして、須崎様、そして丸沼芸術の森関係者の皆様に御礼を申し上げる次第です。ありがとうございました。
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