カミーユ・コロー(Camille Corot 1796-1875)について
19世紀半ば、パリの南東60キロに位置するフォンテーヌブローの森を訪れ、森林や田園を描いたバルビゾン派と交流し、そのさきがけともなった画家。商人の裕福な家庭に生まれ、父は家業を継ぐ事を望んだが、20代で画家への道を許される。それまでは、絵画の中では歴史画や肖像画が中心であったが、パリの近代化と工業化に伴い、失われてゆく自然への憧れや、チューブ入り絵具が開発され写生が広まるなど、風景画が新たなジャンルとして確立されてゆく過程でコローは活躍する。新古典主義の画家ミシャロンとベルタンに師事、イタリアへの留学など伝統的な絵画を学ぶと同時に、独自に写生への研究を重ねる。後の風景画家は見えるままの自然を描こうとするのに対し、コローは写実的な写生の習作をもとに、別々の景色や人物などを効果的に配置して再構成する。1927年にサロンに初入選。1850年頃からは銀灰色の薄靄のかかる、詩情溢れる風景を描く独自の画風を確立、1864年サロンに出品する《モルトフォンテーヌの思い出》は政府に買上げられるなど、コローの作品は広く愛された。また年下のバルビゾン派の画家達からは「コロー爺さん」と親しまれ、また若く貧しい画家たちの援助も行っていた。