歌川広重(うたがわ ひろしげ 1797―1858、寛政9―安政5)について
江戸時代後期を代表する浮世絵師。安藤広重とも呼ばれる。
広重は、江戸の下級武士・八代洲河岸火消屋敷の同心(下級役人)、安藤源右衛門の子として生まれる。 当初は家業の火消同心と絵師の兼業をしていたが、20代半ばで絵師に専業する。
30代半ばで幕府の年中行事の1つ「八朔御馬献上(はっさくおうまけんじょう)」に同行したスケッチをもとに、 東海道五十三次を制作、版元の竹内保永堂から出版され評判を呼び、一躍人気絵師となり、 多くの注文を受け、京都名所、江戸名所八景、木曾街道六十九次などを発表する。
葛飾北斎と並び評され、後の印象派にも影響を与えた広重の作品は、大胆な構図と鮮やかな色彩で欧米でも人気が高く、 特にその藍色の美しさを指して「ジャパンブルー」「ヒロシゲブルー」とも呼ばれる。
上:《東海道五十三次之内 原》(保永堂版)浮世絵版画 1833~1834年頃 24.8×37.2cm
下:《東海道五十三次之内 蒲原》(保永堂版)浮世絵版画 1833~1834年頃 24.8×37.2cm
《東海道五十三次》について
江戸時代後期、「東海道中膝栗毛」などの文学で描かれるように、一般庶民の伊勢詣や京都への旅行が可能となる。 しかし京都への徒歩の旅 は当時標準で往復1ヶ月近くの期間を要したと考えられ、気安く実現できるものではなかった。 宿場毎にテーマを設定したこのシリーズ(揃物)は季節や天気、あるいは東海道から京都に向かう道中の左の太平洋、 右の山々を交互に織り交ぜて、巧みに変化を出し、見るものを飽きさせない。人々の旅への欲求に応えるこの作品は当時大流行し、 また現在まで愛され続けている。 《原》は53の宿場の13番目にあたり、現在の静岡県沼津市。このシリーズ内で最も大きく富士が描かれている。 《蒲原》は同じく15番目の宿場で静岡市清水区。静寂な雪景色がドラマチックに描かれている。 丸沼芸術の森では、当シリーズの全55作品を所蔵している。
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