モーリス・ド・ヴラマンク(Maurice de Vlaminck 1876-1958)について
ピアノ教師の父とヴァイオリン教師の母の子として生まれ、幼少時より音楽に親しむ。 12歳の頃からは近くに住む画家に絵の手ほどきを受けるが、ほぼ独学で本格的に絵の制作を始める。 しかしながら10代後半は自転車競技に夢中となり、一時は競輪選手を目指すがチフスにかかり断念、音楽教師やヴァイオリン奏者として生計を立てる。
24歳の時、アンドレ・ドランと知り合い意気投合、パリ郊外のシャトゥー島に共同アトリエを借り、昼間は絵を描き、夜は酒場でヴァイオリンを演奏する生活となる。 ゴッホの回顧展に刺激を受け、激しい色彩による作品を描き始める。 1905年(29歳)アンリ・マティスの勧めで29歳の時アンデパンダン展に参加、 さらに同年ドラン、マティスと共に展示されたサロン・ドートンヌ点の作品群が「野獣(フォーヴ)の檻」と呼ばれる。 数年間フォービスム運動の中心的な作家となるが、その運動の衰退後はキュビスムやセザンヌの影響を受けながらも、 独自の作風を推し進め、佐伯祐三や里見勝蔵など日本人画家にも大きな影響を与える。