ジャン・フランソワ・ミレー(Jean-François Millet, 1814-1875)について
19世紀半ば、パリの南東に位置するフォンテーヌブローのバルビゾン村で農民の生活や自然豊かな風景を描いた「バルビゾン派」の代表的な画家の一人。
英仏海峡を望むノルマンディー地方の小村に、農業を行いながら教会の合唱指揮者を勤める父の下に生まれる。19歳から近隣の街で絵画を学び、22歳でパリに発つ。アカデミズムの大家であった、ポール・ドラルーシュに学ぶ。神話や聖書を英仏海峡を望むノルマンディー地方の小村に、農業を行いながら教会の合唱指揮者を勤める父の下に生まれる。19歳から近隣の街で絵画を学び、22歳でパリに発つ。アカデミズムの大家であった、ポール・ドラルーシュに学ぶ。神話や聖書を画題とした絵画を描き、26歳の時、肖像画がサロン(官展)に初入選するが、生活の為に裸体画も描く。30代半ばから農村を主題とした作品に転じ、家族を伴いパリを離れてバルビゾン村に移り住み、亡くなるまで同地に暮らす。広く知られる《種まく人》(1950)や《落穂拾い》(1857)はバルビゾンで描いたもの。長らく評価されぬまま苦しい生活を送るが、次第に農民を英雄的に描く画家として知られるようになり、1867年にはパリ万博で特別展示が行われ、翌年にはレジオン・ドヌール勲章を受章する。
ゴッホを始め、後世の多くの画家に多大な影響を与え、日本でも早い時期から紹介される。