加藤孝造(かとう こうぞう 1935―2023)について
岐阜県瑞浪市に生まれる。多治見工業高校卒業後、岐阜県陶磁器試験場に勤務する一方、第10回日展の洋画部門で最年少入選。絵画と陶の間で悩むが、同試験場長の五代加藤幸兵衛(文化1・1804年、初代幸兵衛により開窯される。五代は幅広い技法を駆使した作陶の一方、23年間試験場長を務める)との出会いにより陶芸への道を歩む。現代日本陶芸展、朝日陶芸展、日本伝統工芸展などでの入選・受賞を重ね、独立のため試験場を退職する。翌1970年、荒川豊蔵(安土桃山時代の古窯跡を調査し、その技術を復興。人間国宝に認定される)との出会いにより大きな影響を受ける。1973年、可児市に築いた窯は試験場での近代化された設備とは異なり、豊蔵にならい、手回し轆轤(ろくろ)や薪をくべる穴窯によるもの。1995年、志野、瀬戸黒の技法で岐阜県重要無形文化財保持者に認定、2009年には伝統文化ポーラ賞を受賞するなど多くの受賞歴を持ち、2010年には重要無形文化財(人間国宝)に認定される。