カミーユ・ピサロ(Camille Pissarro 1830−1903)について
印象派を代表する画家の一人。カリブ海のセント・トーマス島(当時デンマーク領、現アメリカ領)で、フランスから移住した両親の下に生まれる。家業の雑貨商を手伝っていたピサロは、20歳頃に知り合ったデンマーク人画家からの影響で絵画を志す。25歳頃に渡仏、パリ万博で見た、コローの田園風景を描いた作品に強い感銘を受ける。モネやルノアール、セザンヌ、シスレーらと交流を持ち、自分たちの新しい絵画を受け入れない保守的なサロン(官展)に代わる、自主的な展覧会の実現を話し合う。普仏戦争で計画は一時中断するが、1874年第一回印象派展が実現する。個性が強く必ずしも意見が一致しない画家達を、温厚で人望の厚いピサロが結びつけ、その組織作りも主導した。そして、回を重ねる度に大きくメンバーが入れ替わる印象派展であったが、最後となる第八回展(1886年)まで全て参加したのは唯一ピサロであった。最年長でもあり、若い画家達への面倒見もよく、特にセザンヌからは父親のように信頼を受けていた。73歳で自宅の階段で転倒、2ヶ月あまり病床に着き、亡くなる。